【体験談】脳イキ体質の女が「ヴィパッサナー瞑想10日間合宿」に参加したら

ヴィパッサナー瞑想 8

 

こんにちは、なつえりです。

先日、大学生時代、つまり10年以上前から気になっていた「ヴィパッサナー瞑想」に参加しました。

 

内容をひとことで言うと、ガチの修行合宿です。

早朝4時に起き、21時に就寝するまでひたすら瞑想・瞑想・瞑想

それを10日間、スマホも没収、会話も一切なしの状態で、ずーーっと続けるのです。

 

 

その結果、なつえりの精神はどうなったか・・・・・・

結論、ちょっとやそっとでは動じない「静かな湖のような心」になり、

パートナーシップの問題も勝手に解決していました。

 

このブログ記事では、いったい何を経験してきたのか、くわしく書いてみようと思います。

11000文字になったので、ちょっと長いです。ちゃんと読むと10〜15分くらいかかるかも!

でも本当に人生を変えるポテンシャルのある機会なので、ぜひ最後まで読んでみて欲しいです!

 

あ、ちなみに、このコースは完全に寄付だけで成り立っているので参加費はありません。基本的に無料です。

自分のお金や物品を寄付したり、ボランティアとして時間を寄付することで、

みんなの気持ちで運営されているものです。

 

なつえり
あと、なつえりは勝手にイキ続けてしまう脳イキ体質なのですが、その不安もみごとに的中するので、また後述しますね(しろめ)

 

補足その1:ブッダとは悟った人全般を指す言葉ですが、この記事では便宜上ゴータマ・ブッダのことを「ブッダ」と呼びます。

補足その2:この記事では瞑想の具体的な体験談を書いていきますが、瞑想中にどんなものが出てくるかはひとりひとり全く異なります。「自分にもそれが起きるかも」「起きなかった」と期待や執着をする意味は1ミリもないので、参考程度に読んでみてくださいね!

ブッダが実践していた、ヴィパッサナー瞑想とは?

ヴィパッサナー瞑想 1

「悟った人」のイメージ写真(コワーキングスペースでやるなや)

 

 

ヴィパッサナー瞑想は、2500年前、ゴータマ・シッダッタ(ブッダ・釈迦)というインドの王子が始めました。

 

ブッダは、「すべての苦しみは渇望から生まれる」と悟りました。

そして、過去(トラウマ)でもなく、未来(渇望)でもない、

【今この瞬間】にいつづけることは、苦しみから逃れる唯一の方法だと教えます。

 

【今この瞬間】だけに意識を集中し続ける方法を見つけ、

生まれも宗教もお金も関係なく、文字どおり誰でも実践できるように体系化したもの…

それが、ヴィパッサナー瞑想だったのです。

 

そして、他でもないこのヴィパッサナー瞑想によって、

ブッダは心の汚れをすべて取り除き、「悟り」を開きます。

 

そう・・・彼は、

カラダひとつで世界の真理に辿り着いた、

世界一の変態だったのです。

マジで、尊敬しかありません。

 

ヴィパッサナー瞑想 2

「とくに悟っていない人」の写真

 

 

…瞑想修行によって、これらの真理をアタマではなく  “身体” に叩き込みます。

 

 

なつえりは、修行をナメていた。

 

・・・こんなふうに書くと、なんだか壮大なカンジがしますが・・・

なつえりの場合、10年間行きたかったわりにはノリと勢いだけで突撃しました。

ヴィパッサナー瞑想がどんなものなのかも調べず、
瞑想合宿に参加した人のブログも一つも読まずに参加。(みんな結構読んできてた。)

 

なつえり
心の感度、上げてきまァす↑★

と、非常にアホな遺言を残したまま、

おいしい飲むヨーグルトを片手に、のんきに京丹波の山奥へと向かったのでした・・・・・

 

 

初日 〜苦しみ〜 「先生、なつえりが息してません」

ヴィパッサナー瞑想 3

京都の瞑想センターへ到着。

思ったよりもずっと清潔で快適で明るい雰囲気の施設でした。

 

コースは、インドの指導者である 故人・S.N. ゴエンカさんの音声テープを全員で聴きながら進めます。

2024年は、奇しくもゴエンカ生誕100周年の記念すべき年だったようです。

 

 

瞑想のやり方や心構えなどのガイダンスを聴き、いよいよ瞑想スタート。

外の庭からセミやすずむしの声だけが響きわたる、シーンと静まり返った瞑想ホールへ移動。

 

 

最初は、「呼吸が鼻腔を通り抜ける感覚に集中する」アーナーパーナー瞑想から開始。

あれ、なんか、息をするのが苦しいぞ。

 

まるで全力疾走したあとのワンコのように、ハッハッハッハッと浅い息を繰り返します。

深く呼吸をしようと思っても、ぜんぜん入っていきません。

せすじを伸ばした姿勢を維持するのも、息が苦しくなってストレスです。

 

なつえり
(え…… 私ってこんなに呼吸浅かったの?!???)

確かに、「最近なんか呼吸が浅いな〜」とは思っていたんですよね。でも、ここまでだったとは・・・

 

 

ただ、「呼吸が浅くても深くても早くても遅くても、あるがままの息を、観察し続けなさい」とのゴエンカ氏の教えです。

苦しいですが、呼吸に集中することを諦めずに取り組みました。

 

 

そのうち、なんだか体がムズかゆくなってきました。

意識をちょっと頭の方に持って行ったが最後、だんだんと全身がビクンビクン!とぞわぞわしてきて、

脳イキモードに突入してしまいそうに・・・

 

「やばいやばいやばいやばいここは瞑想ホールだぞ。」

必死で止めようとしますが、いったんスイッチが入るともう止まりません。

なつえりは、ひたすら瞑想ホールでビクンビクンと脳イキしまくりました。

 

なつえり
(息は苦しいし、なんかもうイキまくるし、)
なつえり
(これをあと9日…??? じ、地獄やあああああ!!!!)

しろめを剥きながら、なつえりの心が若干折れかけたところで、1日目は終了したのでした・・・

 

 

※ちなみにここまでひどい脳イキ状態になったのは、初日だけ。

修行を終えた今、むしろ頭で脳イキしまくる状態がなくなりました。

瞑想に来る前は、身体がぴんと張り詰めた緊張状態になっていたりしたのではないかと推測しています。

2日目 〜強烈な眠気〜 「あれ、ここへ寝に来たんだっけ?」

 

4時に起床。「やる!」と腹を決めたら、人間意外とスッキリ起きられるものです。

そして2日目は、呼吸だけでなく、上唇から鼻までの「三角のゾーン」の感覚に集中する瞑想です。

 

 

まず、昨日と比べて、格段に息がしやすくなっていて感動。

なつえり
(あれ、息苦しい感覚がなくなってる!)

 

 

しかし・・・

集中しようとすればするほど、絶え間なく浮かぶ雑念・雑念・雑念。

こんどはこれがなつえりを苦しめました。

 

「あー、あの人にああ言ったのマズかったかな」
「あー、やり残した仕事、大丈夫かな」
「あの時のあの人の言葉、少し傷ついたな」
「合宿から帰ったら、あーしてこーして…」

と、過去にクヨクヨしたり、起こってもない未来を不安がったりして。

 

 

また、頭の中でパートナーを言葉責めし始めると止まらなくなります(情欲まみれ)

合宿では、「(もちろん自慰も含め) 性的な行為は一切しない」という戒律があります。

そこも心配ポイントでした。以下、パートナーとのやりとりです。

 

ヴィパッサナー瞑想 4

オワってますね。

 

最初のほうは、瞑想中に下ネタ妄想が止まらなくなり、

脳内で「ドピュ★」と発射する映像がよぎったりなどしていました。なにやってんだ。

 

 

…そんなこんなで、頭によぎる内容を客観的にみると…

「私って、なんてつまらねえ人間・・・・」

と、もう、なんかゲンナリしてきます(›´ω`‹ )

 

仕方ありません。そんなもんなんです。

人は自分自身をどうしても過大評価します。

でも、実際なんて、そんなもんなんです。

いい意味で自分のしょーもなさを知れて、執着も薄まりました。

 

 

人は皆、ひとりひとり幸せになるべき命だと思っています。

でも、それはこの世界全体で見たら非常にちっぽけなんですよね。

「大切だけどちっぽけな存在」・・・

こんなふうに、残酷なほど現実に即した、等身大の自己認識が育ちます。

 

 

雑念の次は、繰り返し襲いくる強烈な眠気です。

瞑想前はスッキリしていたのに、開始3秒でとたんに寝落ち、なんてことも。

 

2日目は午前中ほとんど寝ていた気がします。

あれ、ここに寝に来たんだっけ?と絶望するほどです。

 

 

かなり不安になってしまい、指導役の先生に時間をとってもらい、質問しました。

「めちゃくちゃ寝てしまうのですが、どうしたらいいでしょうか。」

 

あまりにもショボすぎる質問。

 

 

しかし先生は、バカにすることなく微笑みながら答えてくれました。

「眠気も、瞑想をじゃまする “心の汚濁(おだく)” なのです。今までの分も湧き上がってくると思います。」

これは汚濁だったのか。

実際、4日目くらいからほぼ眠気がくることは無くなりましたが、それまでは気合いを入れるのが大変でした。

 

 

3日目 〜突然の悟り〜「これが体で解らされるってことか」

 

この日は、心をさらにさらに研ぎ澄ますため、

鼻の下〜上唇(口ひげが生えるあたり)に超限定した三角形ゾーンに感覚を集中させます。

最初はなにも感じませんでしたが、だんだん「ジワジワ」とした感覚がわいてきました。

 

 

 

そんなこんなで、眠気と雑念と煩悩にまみれて

悪戦苦闘しながら瞑想を続け、夕方に・・・

 

 

ある時、突然、ハッ!!!と気付かされました。

「過去のこと、未来のこと、たくさん浮かんでくるけれど、どれも私に影響は及ぼさない。イマココで私は呼吸をしていて、その感覚が確かにある。それだけが真実なんだ!」

 

↑言葉にすると「大丈夫?ついに頭おかしくなった?」ってカンジですが、

頭でわかるんじゃなく、突然カラダでわかるのです。

 

 

腑に落ちるという言葉がありますが、
カラダでわかったことって瞬間的に全身に刻まれて、決して忘れません。

 

この日には、そんな収穫がありました。

 

なつえり
(なんか順調じゃん♪)

そう調子に乗ったのもつかの間。翌日、地獄に落とされるとも知らずに・・・

 

 

4日目 〜噴出する不快感〜 「全身が汚濁まみれで半泣き」

 

朝起きたら、みぞおちと腰に「吐き気」のようなものがブワァッと湧き出ていました。

 

この日から、ついに、全身の部位に意識を巡らせる「ヴィパッサナー瞑想」がスタートしましたが、

全く集中できず、ひたすら呼吸をすることしかできません。

 

なつえり
(熱が出た時の倦怠感みたい。きもちわるい・・・集中できない・・・)

最初は気のせいかと思っていましたが、「これは気のせいじゃないな・・・」と気づきます。

 

ゴエンカ氏の教えは、「どんな感覚でも平常心で観察すること」です。

私は観察し続けました。すると、あることがわかりました。

 

なつえり
(この感覚にはなじみがある・・・多分これ、いつも感じているやつだ・・・)

 

私は、あせりの感情がわくと、みぞおちのあたりにキュウッと縮むような不快感がきます。

さらに、「めんどくさっ」と感じると、背中から腰のあたりにイヤ〜な不快感がわくのです。

この2つを、日常的に感じ続けていることを思い出したのです。

 

 

朝食を食べても、昼食を食べても、ドッドッドッ・・・と心臓の動悸がおさまりません。

先生に時間をとってもらい、また質問しました。

「みぞおちのあたりに、焦りがわいてきて、消えないんです。」

 

先生は答えてくれました。

「感情(サンカーラ)が上に上がってきているんですね。順調です!

順調なんだ!

 

観察し続けてくださいねとアドバイスされ、また瞑想を続けました。

すると、夜にはこの不快感は消え去り、ヴィパッサナー瞑想をしっかり練習することができました。

(めんどくさっと感じると、また背中がウズウズしたりしましたが・・・)

 

 

ほんとーにイヤな感覚でしたが、あれを日常的に感じていたんだよな〜と。

そりゃストレス溜まるし体調崩すよなぁ。

私の場合、特定の感情が、特定の体の部位に結びついていたんだな、という新たな発見がありました。

 

 

ちなみに、ヴィパッサナー瞑想は「心の大手術」とも呼ばれています。

一時的に傷をひらくので、中からたくさんの膿(うみ)が出てくる。

あとから聞きましたが、悪夢を見たり、感情が爆発したりして苦しむ人も少なくない。

 

今回のルームメイトも、寝ているときにうなされながら「ギャーッ!!」「うううっ泣」とか言ったりしていました。

あとで本人に聞いたら、覚えていませんでしたが(笑)

私も仲間も、一番見たくない夢を見たりして、眠りが浅くなってましたね。

 

ただ、ホッとしている暇はありません。

翌日は、さらにさらに拷問のような時間が私たちを待っていました。

 

 

5日目 〜地獄の門をくぐる〜 「なぜ人間ばかりが…事件」

 

↓ちなみに講話の時間では、ざっくりこんなことを教えてもらいました。

 

「私」という幻想が執着し渇望するから、気持ちいい感覚に執着し、粗雑な感覚を嫌います。

でも、感覚は感覚。ただ、そこに存在しているもの。

 

地上にあるどんなものも、この痛み(凝固した粗雑な感覚)すらも、素粒子のさざ波が起こすもの。

そしてこの感覚すらも永遠には続かず、常に変化し続けている(諸行無常、変化 “アニッチャー”)。

 

感覚を研ぎ澄ませ続けて、「すべてのものは、素粒子の絶え間ない燃焼と振動により成り立つ」と悟ったのがブッダ。

そして、数千年後。20世紀になって、素粒子を研究する「泡の箱」が設置され、ついに物理学者たちも同じ結論に至ります。

 

すべてのものは変化し続けている。確かなものはどこにもない。”諸行無常”である。

私たちの身体はただの「泡の集合体」なのに、なぜ執着する必要があるのだろうか?

 

その「変化 “アニッチャー”」への理解を育てなさい・・・アニッチャー・・・アニッチャー・・・

 

 

 

なつえり
なるほどそうか。確かに。諸行無常。アニッチャーだわ。(ド単純)

 

 

5日目からは、1時間座る姿勢を変えない「決意の瞑想」がスタートします。

ヴィパッサナー瞑想がガチの「修行」であり、心の大手術と呼ばれるゆえんです。

 

 

想像してみてください。

お寺で法事をするとき、あなたは何分間、同じ姿勢で座っていられますか。

そう。体って同じ姿勢でいると、すぐに痛くなるんですよね。

30分まではなんとか大丈夫。45分になるとしんどい。そこからの時間はもう拷問です。

 

 

なつえり
いやいや大げさな。諸行無常だから平気っしょ。アニッチャー★

1時間後、なつえりは口から泡を吹きそうになっていました。

なつえり
痛い痛い痛い痛い痛い痛い・・・いや痛みは痛み・・・でも痛い・・痛いものは痛い・・・・アアああ”アアアア”っッ!!!?!!
なつえり
(アタイのブッダがアニッチャーして諸行無常っっ!!!!※支離滅裂)

 

※大丈夫です。その場になったら耐えられるものです。脅しではありませんので安心して参加してください。

 

 

そして思わず、昼休憩の時に、先生に質問しました。

 

なつえり
もちろん、自分で選んだ修行です。自主的に参加しています。でも・・・
なつえり
なぜ人間ばかりがこんなにも苦しまなくてはならないのか?と憎しみが湧きました。

 

先生は、ウケていました。

えっ!ヤバい・・・何か変なこと言った・・・?!笑

 

先生は、微笑みながらこう答えてくれました。

「憎しみの感情が湧いてきたことにまず気づき、観察してみてくださいね」

「また、なぜ人間にこの感情(サンカーラ)が湧いてくるのか、なぜ修行をするのかも、

講和の時間に説明がありますよ。」

なつえり
ありがとうございます! (先生優しい・・・)

 

 

しかし、なぜ先生は笑っていたのだろうか。

部屋のベッドで仰向けに寝そべり、天井をぼんやり見ながら考えていました。

・・・その時、自分がクッソ変なTシャツを着ていることに、ふと気づいたのです。

 

 

タイのバンコクにある、「コンドームレストラン」のお土産で買ってきたシャツ。

ティンポがコンドームを着用し、誇らしげに胸を張っています。

 

ヴィパッサナー瞑想 5 ヴィパッサナー瞑想 6

I AM SAFE NOW. (安全ですが何か?)

 

 

なつえり
(Tシャツがまずかったんかな・・・?!?!)

※あとになって、先生はただただいつも微笑んでいるだけなんだと気づきました。

 

 

ちなみにこれらが、私が合宿に持って行ったTシャツたちです。

ヴィパッサナー瞑想 7

タイで購入した、先輩が「めっちゃリアル!ほしい!」と言うので屋台で値切り交渉して購入したニセモノのバレンシアーガシャツ。

ウーマナイザー(吸引バイブ)のノベルティでついてくる、I MASTURBATE(訳:オナりますが何か?)と主張するシャツ。

そしてコンドームレストランTシャツ。

 

よく考えたら、Tシャツ、全部あかんかったわ。

 

 

 

・・・気を取り直して、2回目、3回目、と 決意の1時間を繰り返すうちに、

だんだんと「痛みは痛み」「諸行無常」の感覚を掴んできました。順調です。

 

なつえり
あー、はいはい。この痛みは、ここがピークで、ここまでズキズキしてるんだねー。そりゃあヤバイことになるよねー。

と、まるで医者が患者にオペをするかのように、心が冷静になってきました。

自分の体、と執着を出していると、不快な感覚に嫌悪が生まれます。

でもとことん客観的になり、完璧な平常心を保つのです。

 

 

瞑想を続けていくと、またしても、ハッ!!!と気づく瞬間が来ました。

「感覚は感覚としてそこにあるだけ。私は、感覚に “どう反応するか” を自分自身で選ぶことができるんだ!」

そのとき、イヤだった過去、つらかった言葉、今までの試行錯誤がブワーッと走馬灯のように駆け巡りました。

 

 

瞑想が終了したあと、私は部屋に帰って、ただただ嗚咽して泣きました。

泣いて泣いて泣きまくりました。自分が泣いている理由も分かりませんでした。

 

仲間たちはみな食堂でご飯を食べている時間だったので、迷惑をかけなくてよかったなと。

 

「感情に飲み込まれることなく、それに気づき、俯瞰する」

悩みの多かった私自身が、発信し続けてきたメッセージでした。

でも頭だけでわかっていても意味がない。経験で知っていてもまだ十分じゃない。

「身体の感覚を通して知っている」これが、ずっと忘れない本当の知恵になるんだと教えられたのです。

 

なつえり
ヴィパッサナー瞑想、おそるべし・・・・(顔グチャグチャ)

 

 

そして時は流れ…。〜蝉(せみ)が息絶えて居る〜

ヴィパッサナー瞑想 8

6、7、8日目と、永遠のように感じる数日間が流れました。

日に日に、呼吸が深く・自然に・クリアになるので毎日驚いてしまいます。

 

そして、瞑想以外の日常生活でも、

「体の感覚」に意識を向け続ける修行をします。

 

例えば、食事。

純粋に “食べる” に集中すると、

口が潮吹きしたんか?ってくらい唾液でヒタヒタになるのです。

 

食材を見つめる。味やほどける感覚を舌で味わう。香りをかぐ。ゆっくりと咀嚼(そしゃく)する。

ブラックホールのような食道に吸い込まれて落ちていくのを感じる・・・。

 

食事のときって、大体スマホを見ていたり、会話してたり、考え事をしたり、上の空だったり・・・。

意外にも、まったく集中していません。

いかにテキトーに食事をしていたかに気付かされます。

 

 

余談ですが、瞑想をしているとだんだん動物に好かれるようになるらしいです。

なつえりも、全長1mほどある美しいヘビがゆっくりと舌を出しながら目の前を通って行ったり・・・

イエローの綺麗な色のトカゲが足元まで来て、私のサンダルを2度ほどペロペロッとして去った・・・ということがありました。

 

ちなみに合宿所では、男女が行動するエリアが完全に分けられています。

男子の庭エリアには人懐っこい蝶がいたそうで、よく頭に止まってくることがあったそうです。

なかには、蝶を手に止まらせて遊ぶ人もいたんだとか・・・

 

 

8日目の昼下がりに、松の木の木陰で、一匹のセミが息絶えていることに気づきました。

誰かが心を遣い、セミの亡骸に砂をかけてあげていました。

 

「セミの寿命は8日間」といわれます。

ひとつの生き物が一生を始め、そして終える。

同じだけの時間がこの自然界に流れているし、もちろん私たちにも流れている。

 

 

小さい子は、「大きくなったねぇ」と言いたくなるほど、成長が早く感じる。

でも大人になると、「自分には何の変化もない」と思いがち。

それを実感するのは老化現象くらいであるが・・・

 

何も変わらないように見えて、

ものすごい速さですべての素粒子が入れ替わりきっているのであると・・・。

 

 

庭に広がる自然の景色、そこにうごめく小さな生き物たちの拍動全てが、

地球全体が絶え間なく震えているかのように見えてきました。

じわじわ・・・うごうご・・・モゾモゾ・・・

 

こんな感じで、自然界を観察しながら、

「変化(アニッチャー)」を意識することが増えました。

 

 

ちなみに、宿舎から共用部分に降りてくる階段のわきに、青い花が咲いていました。

昼の瞑想が始まる時はまだつぼみ。瞑想が終わって帰ってくると、もうつぼみが開こうとしています。

翌日には、もう、青い花となって太陽に花弁をひろげきっています。

私は心の中で、その花を “アニッチャフラワー”と名づけて癒されていました。←でも参加者にこの話をすると大体スベる

 

 

9日目 〜アニッチャ〜 「先生、なつえりが、また息してません」

 

ヴィパッサナー瞑想10日間コースの総仕上げでは、

「上から下に、下から上に、意識の自由な流れを感じる」練習をします。

 

でもなつえりは、部位ごとに感覚はしっかり感じ取れるものの、

【流す・流れる】という感覚が、どうしても分かりませんでした。

 

頭頂から、足の爪先まで、まるで水が流れていくように感覚を移動させられるようですが・・・

必ずどこか途中で、感覚がなくなり、「詰まってしまう」状態が続きました。

 

 

「流れない…」と、焦ってしまって平常心を失うべきではありません。

なるべく淡々と、「詰まってしまう」箇所を観察していきます。

 

すると、右の頬や、右のひじなど… なぜか右側の感覚がにぶいような感じなんです。

「左はそんなことないんだけどな・・・」

イライラをおさえながら観察していたら、とあることに気がつきました。

呼吸した直後だと、右側の感覚も敏感になってくれるのです。

 

なつえり

うーん、心臓が左側だから、右まで血液が循環するのに少しタイムラグがあるんだろうな。

ってことは、しっかり呼吸をして、体の血行がよい状態じゃないと、感覚も感じにくいのか・・・

 

なつえり
あれ・・・もしかして私、集中すると、息が止まってるのかな???

 

この仮説に基づいて瞑想をしていると、「やっぱり数秒間止まってる!!!」と感じることがありました。

そう・・・これは瞑想中だけではありません。

文章を書く、講師でしゃべるなどの集中モードに入ると、たびたび呼吸が止まっていたのです。

 

なつえり
だからドッとつかれてしまうし、集中力も続かなかったのか。

 

呼吸を止めずに、ゆったりと続けるように意識したら、とたんに意識が自由に流れるようになりました。

まるで、広い海に解き放たれた魚のようにビュンビュン流れ始めました。

呼吸ひとつで、こんなに感覚が変わるんだ。これは、衝撃の変化でした。

そして、この気づきに至るまで、淡々と観察を続けた自分自身にも自信がつきました。

 

下山して数日後に、日本性科学会の学術集会に参加したのですが、

「睡眠時無呼吸症候群(寝てる時に呼吸が止まる病気)の人は、日中につかれやすく、勃起不全(ED)になる」

こんな趣旨の発表があったので、やっぱり繋がっているよな〜としみじみ感じました。

10日目 〜ぷちバンガ〜 「指紋を見つめる私たち」

 

コース10日目は、いよいよ最終日。

聖なる沈黙は破られ、同じコースを受けている仲間たちとおしゃべりします。

 

鋭くなった心のまま社会に戻ると危険なため、

手術で開いた傷口をふさぐ軟膏のような役割をする「聖なるおしゃべり」です。

 

 

女性たちのなかには、仕事をクビになったので参加した人、

離婚を決意したり、あるいは離婚手続きを今まさにしている人、

また、母乳育児の真っ最中で、瞑想の合間になんとトイレで母乳を搾りながら参加した人、

そして、足や背骨の持病で、1時間座り続けるのが困難だが、気合いで乗り切った人など・・・

 

なつえり
え、私なんか、イージーモードの条件じゃん・・・

と、みんなの根性に脱帽を禁じ得ませんでした。

男性に、3名脱落者がいたと聞いたので、やっぱりきついよね〜と心の中で共感したり。

 

 

 

仲間たちとは、この10日間でどんな体験をしたか、どんな感情がわきあがってきたか、

そしてプライベートや仕事で、どうこの経験を活かしていくか・・・

そんなおしゃべりに花が咲きました。

 

 

ひとつ、不思議だったことがあります。

私たちが庭の木陰で何時間も話し込み、瞑想の時間がスタートするので建物に戻ろうとしたら

とたんにポツポツと雨が降り出し、いままでの晴天がウソのようにどしゃぶりになったのです。

 

「故・ゴエンカさんが空から見守ってて、私たちにおしゃべりをさせてくれたのかも・・・?」

なんて、ふと頭をよぎってしまいました。

 

 

 

これからヴィパッサナー瞑想に参加してみたい方に、ひとつアドバイスがあります。

最後の最後まで、ぜひ真剣に瞑想に取り組んでみてください!

 

なつえりの場合、10日目の朝の瞑想で「心と体の輪郭が溶け出す境地(バンガ)」をチラッと垣間見ました。

半分自動なのでは?というほどギュルギュル・・・と意識が早く流れ出し、

どこかで仙骨のあたりがパーン!とはじけて、体の輪郭がぼやけた状態が続きました。

(そんなに珍しいことでもないし、執着の対象ではないです)

 

 

やっぱり最後の最後まで集中力は上がっていくんだと思いました。

もうコースも終わるしゆるゆるやろう〜と考えていたら、この経験はなかったです。

 

そしてやっぱり、コース中の瞑想は特別です。

家に帰ってからも瞑想は続けていますが、やっぱり集中力はどうしても落ちます。

しっかりと「修行」ができるのはコース中です。時間を大切にね!

 

 

最後の振り返りの時間で、

奉仕係(調理や配膳などのボランティア)の男性が、こう語っていたのが印象的でした。

瞑想とは “指紋” のようなもので、そこにあると気づかないが、ひとりひとり異なっていて、だんだんと浮き上がってくるようなもの。自分を知る過程に安らぎも感じながら、楽しんでください」と。

 

なつえり
まちがいない!

 

それにしても、とっても愛のあるスタッフさんに囲まれて、本当に良い環境でした。

 

合宿を終えて。パートナーシップ問題、いつの間にか解決済み。

 

私自身、この合宿に来る前に、パートナーとの間にプチトラブルがありました。

「関係を考え直した方がいいのか」とクヨクヨ悩んでしまっていました。

 

最初の数日は、その悩みが浮かんでは消え、浮かんでは消え・・・をしてました。

ただ、答えを出そうとしなくても、最後の3日間になると「彼をずっと支えて生きていこう、もっと優しくなろう」と自然に決意していました。

この間に、なんの違いがあるか・・・それは「執着の有無」です。

 

 

自分の人生をとっておきにしようとするから、パートナー “選び” という発想が出てくるんです。

それは自分の人生をデコレーションするための選択であり、見返りのある愛です。

でも、本当に「相手の役に立とう」「相手に幸せになってもらいたい」と思えば、そこに見返りは期待しません。

 

もちろん、それがなかなか難しいことだとも分かっています。

ただ、目の前の関係に不満を持っている人や、自分の弱さからつい複数の関係を持ってしまう人は、自分自身に対して、強い執着があるんです。

愛しているのは、自分だけ。

 

 

瞑想を続けるうちに、私自身のこころがなぜ揺れているのか、なぜパートナーがあの行動をとったのか…など、

こころの仕組みがぱらぱらと糸を解くように自然に理解できたのです。

 

そして、渇望・執着・苦しみのなかで相手を傷つける行動をしてしまうのは、

性格に問題があるのではなく、ただただ無知だから。

 

「合宿から帰ったら、私のダメだったところも共有したいし、彼にも、こころの仕組みを教えてあげよう」と楽しみにしていました。

でも、それは私がただ知識を披露したかっただけ。そう、あくまで私が渇望しているだけです。

実際に彼の顔を見たら、それすらもどうでもよくなりました。

 

私は彼に変わって欲しいわけではなく、ただずっとそばにいられればそれで良いのです。

もう過去は過去ですし、私が話したいことを一方的に話して、彼をわざわざびっくりさせる必要もありません。

 

なつえり
考え方変わったなと思うし、執着が減ると、だいぶ生きるのが楽・・・

 

 

彼からは、「ギラギラした部分が消えると、お金を稼ごうと思わなくなるんじゃないの?」と心配されました。

確かに、どんどん大きく稼ぐのはエゴを強めますし、やっぱり修行との相性はよくないみたいです。

 

でも、「自分のためではなく、純粋に人の役に立ちたい」と思うようになります。

実際、修行から帰ってきて、仕事で昇進する人があとを絶たないそうです。

 

人間には「誰かの役に立ちたい」と願う心が元々備わっています。

それを発揮して生きていくのが、とにかく楽しくなります。もう恥をかいたり失敗するのも怖くありません。

 

 

 

コースを一緒に受けたメンバーとは、何人かとまたご縁が続いて、とても嬉しいです。

これからも仲良くしていきたいと思っています。

一緒にコースに参加できたメンバーの幸せをずっと願っています。おつかれさまでした!

 

ヴィパッサナー瞑想は、確かにきついです。

でも、人生の10日間を投資する価値は、ありあまるほどにあると感じています。

ちなみに、このコースは全世界で開催されています。

私も、今度はインドで10日間コースを受けてみたいな…と密かに夢を抱いています。

 

 

1万文字近くになり、大変長くなりましたが、

この記事を最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。

 

参加せず、「こんなのもあるんだなぁ」とただ話のネタにしてくださってもOK。

そして、「参加してみたい・・・」と興味を持った方は、

そこから何年かかったとしてもいいです。

ぜひライフワークの候補として、いつか参加してみてくださいね。

 

すべての生きとし生けるものが、苦しみから解放され、幸せになれますように。

すべての生きとし生けるものが、私の得た幸福を分かち合えますように。

すべての生きとし生けるものが、愛に生きられますように。

そして、自分自身と戦い抜いた仲間たちへ、心からのメッタを贈ります。ありがとう!

 

番外編:裸の少女

 

京都ダンマバーヌの女子シャワー室に、一つ、すごく水圧の弱い個室がありました。

いちどその個室に入った時、悲劇は起きます。

シャンプーで頭がモコモコの最中にほとんど水が出なくなってしまいました。

 

 

なつえりは、大慌てでとなりの個室に移動しようとしました。

でも全裸だったので、他のメンバーにバレないようソロソロと抜き足差し足で移動した…

つもりでした。

 

隣に立てかけてあったすのこをバターーーンッ!!と倒して、

「ん?」と、共用部分にいた女性の注目を、一身に集めてしまいました。

 

むちゃくちゃ恥ずかしかったですが、

しかし、全身泡だらけでそれどころではないので

ササッとシャワーを浴びて、もう記憶から消していました。

 

最終日に「あの〜〜、いちど、裸でシャワー室から出てきましたよね?」と話しかけられたとき、

なつえり
ああ、終わったわ

と思いました。

 

 

 

修行中に気を散らせてしまってすみません!!!と平謝りしたのですが、

女性「いや〜、瞑想中に痛みに耐えてるとき、”あの裸の少女も頑張ってるんだ…”  って心の支えにしていたから、むしろ有難うって思ってたよ〜〜!」

と、予想をはるかに上回るお返事が返ってきました。笑

 

 

めっちゃ恥ずかしいけど、なんか・・・なんか、よかったぜ!!!??

 

 

ということで、こんなやつでも参加できるから大丈夫。

みんなもヴィパッサナー瞑想、レッツ★トライ!

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA