突然ですが、この記事、ものすごいタイトルだと思いませんか?笑
でも、これでもゴリッゴリに要素を削って詰め込んだタイトルなんです。
そのくらい、今回書かせていただくなつえりの幼馴染のTくんの27年間の人生は、
山あり谷ありで、苦悩と模索に満ちて・・でもそのぶん、人並み以上の感動も経験してきたんです。
とにかく人生迷走中!・・・そんなひとたちの心に刺さる言葉がどこかにあるんじゃないかなと思います。
また、この記事はTくんの半生についてじっくり書いておりボリュームもあるので、前・後編になっております٩( ‘ω’ )و


もくじ
概要:Tくんの半生
なつえりとTくんは小学校からの同級生で、ずっと仲良しです。
Tくんは小学校のときから「非の打ち所がない」と言っていいほど完璧な子どもでした。
ちなみに、容姿は「オーランドブルームを日本人にした感じ」ですかね。かっこいいでしょ?笑
※でもTくんのアイコン画像は、諸般の事情により「笑う馬の顔面画像」に設定しております。その謎のギャップについてはご了承ください。
容姿端麗で背が高く、勉強ができて、運動神経も高い。
おまけに絵や音楽の才能もあり、
習い事のバレエとピアノでも活躍する。
もちろん通信簿はオール3。
・・・そんな子どもいる?というくらい、ケチのつけようがない男の子だったんです。

Tくんは、中学では、部活と勉強の文武両道で、県トップの高校にすんなり入学。
理系で有名大学の学部卒だし。
さらにその後、誰でも知ってる大企業で働き始めて・・。
「いやいや、人生イージーモードすぎない?w」ってくらい順風満帆に見えるよね。



そのメモに書いてあったのは・・・
・過食嘔吐
・自我同一性拡散
・アダルト・チルドレン
・双極性II型障害
・ADHD
・自閉症スペクトラム
・HSP(Highly Sensitive Person)
・境界性パーソナリティ障害
・・・ズラッと並ぶ名前。
ぱっと見ただけでも、めちゃくちゃ壮絶!!


「褒められる=愛される」だと思いこんだ

周りも、僕のこと「すごいね!」「さすがだね!」と褒める一方だったし。
じぶんの親にもずっと褒められっぱなしで、叱られたことがなかったくらい。




・・ある日、Tくんは学校でマッチの火をつけて怒られたことがあり、
それがメチャクチャ嬉しかったそうです。(笑)
Tくんとしては、「マッチのつけ方をみんなに教えてあげよう!」と思っていたのだけど、
先生が「燃え広がるからつけちゃダメだよ」と叱ったんだそうです。



逆に、「できない自分を見せたら、愛されなくなるのでは?」という考え方が刷り込まれちゃったんだよ。

それは、その人の一部分だけを切り取って認識していることと同じだものな。
幼少期からずっと抱えていた感情「おりこうな自分でいなきゃいけない」

褒められないと愛されない・・
こんな風に思い込んでしまった彼の心の中は、いつも不安でいっぱい。
「人の期待にこたえなきゃ」「自分は〜すべき、〜であるべき」
・・という「べき論」に支配されていたそうです。


体育大会も、勉強の成績も「1位をとんなきゃ・・・」と切羽詰まってた。
もう必死だったよ。

いやでも、Tくんバレエめちゃくちゃ上手かったけどね?!今でも、発表会をみに行ったこと覚えてるよ〜。ちびオーランドブルームが白鳥の湖踊ってた。


就活生の時に感じた違和感。「自分は何がしたいんだろう?」

ずっと「べき論」で生きてきて様々な悩みを抱えながらも、
いよいよ学生時代を終え、Tくんは就活をはじめました。



この就活での気づきは、さらにTくんを追いつめていくことになります・・・。
会社で鬱になり、休職することに・・・

就活での問いをうけ、ヤリタイコトがハッキリ思い浮かばない自分に対して、
「自分には意思が欠けている!」「いい就活生にならなきゃ。」
・・自分を変えなきゃ。
そんな風に、ドンドンまた自分を追いこんで行くTくん。

でも、その後営業になったら即死だった。笑
営業の担当を持って3ヶ月で鬱の診断がついたよ。
Tくんの心の体力は確実に限界に近づいていました。
仕事自体でもいつも緊張が続くなか、チームの体制もコロコロと変わっていき、
誰に何を聞いたらいいんだろう?どうやって仕事を進めれば・・?と暗中模索の日々。
だんだんと仕事に支障が出てきて、最終的にはPCを立ち上げたはいいが、メールボックスが開けなくなってしまったそうです。
それも、自分から相談はできなくて、「どうしたの?」と聞いてもらえた時にやっと現状を打ち明けられたのだとか。
それでも働かなきゃ!と労働時間を減らしてまで20日ほど粘ったものの、
ついに、半年間休職することになりました。


「こんなダメなやつは死ねばいいのに」
「死にたい」
こんな風にぐるぐると考え続けてた。

wantではなくcanに変化した瞬間があったんだよ。
それが、自分の自尊心がどん底まで落ち込んだ「底つき体験」だったと思う。

うつだと思ったら、じつは「双極性障害」だった!
Tくんが落ち込んでいた時、じぶんのことを知ろうとしてネットでいろいろ検索していたそうです。
過食嘔吐
気分 波
・・・などなど。
意外と「うつ」とかでは調べず、症状の状態をそのまま検索ボックスに打ち込むことが多かったとか。
そこでTくんは、たまたま「うつと気分障害/幻冬社」という本があるのを知りました。
その本を読み、初めて双極性障害(そうきょくせいしょうがい)という言葉を知ったそうです。
躁(そう)うつ病とも呼ばれている、「双極性障害」ってなに?
激しい躁状態とうつ状態のある双極Ⅰ型と、軽い躁状態(軽躁状態)とうつ状態のある双極Ⅱ型があります。
双極性障害は、一般的には「躁うつ病」という名前で知られています。
コッチの方がなじみのある呼び方かもしれませんね。

この病気、実は100人に1人が発症するとも言われていて、決して他人事じゃないんだよね。
絶対、周りにもたくさんいるのに、この現実はあまり知られていないんだよ。
もっと認識が広がって欲しい。
うつと躁うつは、名前は似ているけどまったく違うもので、治療法も異なります。
Tくんも、うつの薬じゃなく、てんかん用の薬に変えたそう。
また、双極性障害に比べて、うつは「単極性うつ病」とも呼ばれます。
双極性障害は1年のうちほとんどをうつで過ごし、数日を躁状態で過ごすタイプが多いので、
はじめは単極性うつと診断されることが多いのだそうです。

双極性障害って、いきなり診断もらうことは稀なんだよ。
一度鬱の診断があって、その後躁が出たり、元気になったけどまた鬱になったりして再受診して、
やっと双極性って分かる傾向があるみたい!
中には、双極性障害と正しく診断されるまでに10年かかる人もいたんだとか・・。
Tくんが再診したとき、軽い躁とうつを繰り返す「双極性障害II型」と診断されました。


症状が一時的に軽くなったり,消えたりした状態。このまま治る可能性もある。場合によっては再発するかもしれない状態。

後から考えたら、「もしや、あれは躁だったんじゃないか・・?汗」と思って。
その後の冬に、激鬱が襲ってきてメチャクチャしんどくなって。
そこからまた受診して、「双極性障害Ⅱ型」の診断がついたの。

「あれは躁だったかも?」って客観的に観察できたから、症状を明らかにできたのね・・。
やはり、うつに似た「双極性障害」という存在を認識しておくのは大事だね。誰でもなる可能性があるんだし・・。
双極性障害とうつの違い
Tくんは、双極性障害とうつは症状が全然違うんだと説明してくれました。

・・比較してみても、双極性障害にはうつにない症状が出てきていることがわかります。

併発は本当に危険で、うつで気持ちが落ち込んだまま躁で衝動的に行動するので、死にやすい。
「歩けるうつ」とも言われていて、自殺率も急上昇するんよ。

ちなみに、Tくんが躁状態だったときにはこんな気分になったそうです。
・ウヒョーって気分が続く
・めちゃくちゃ頭が回る
・生きててよかった!と感じる
・一日中スキップして移動していた
・「俺は彗星になった」と発言する

・・・”軽い”躁と言われるⅡ型ですら、自分を彗星と思えるくらいにはハイテンションになってしまうのです。
もっと極端な躁状態があらわれる双極性I型は、
裸で屋根に登ったり、バイクで暴走したり、衝動的に戸建ての家を購入してしまったり・・と、
明らかに常軌を逸した行動をする場合があるそう。
自分が双極性障害とわかって、人生詰んだと思った。でもそんなことはない。

Tくんは、双極性障害について熱心に情報収集を開始。
でも、実体験を書いたブログはあまり数がなく不安が募る。

泣いたし、もう人生終わったと思った。詰んだな、と。

双極性障害があっても幸せに働ける人もいるんだ!ということを、身をもって証明したい。
何はともあれ、まずはしっかり病院に行こう!

私も、心療内科でADHDって言われた時にネットで調べたけど、
「職場の理解を得て働こう」とか「症状がひどい場合は、福祉施設の支援を使って食っていく・・」って趣旨の記事が多くて。
もう人と対等な立場で働くことはできないの!?って落ち込んだし。
でもADHDにも服用できる薬はちゃんとあるんだよね。
ズーンってなってる時にネットでみる記事って、真に受けちゃうからなあ。危ないよね・・。
もちろん、働くことが全てではありません。
でも、もう一生働けない!とひとりで決めつけてしまう前に、
まずきちんと病院に行き、薬を飲み続けてみることが大事です!!!
発達障害への気づき!Tくんが自覚した「自閉症スペクトラム」とは?

ちゃんと説明できる人はかなり少ないであろう、自閉症スペクトラム。
Tくんは、双極性障害だけでなく、
とあるきっかけで自分が「自閉症スペクトラム」に当てはまっていると気づきました。
自閉症スペクトラム障害(ASD)は、社会的コミュニケーションの困難と限定された反復的な行動や興味、活動が表れる障害です。
さらに知的障害や言語障害を伴う場合と伴わない場合があります。
また、これらの症状は発達段階、年齢や環境などによって大きく変化するといわれています。
英名のAutism Spectrum Disorderの頭文字をとってASDと略されることもあります。
自閉症スペクトラム障害と一言で言っても、生活に支障をきたすほど症状が強い方から、症状が軽度で日常生活にほとんど支障なく暮らせる方まで様々です。
症状の強弱や、知的障害を伴う・伴わないなどによって十人十色の理解やサポートが必要な障害です。
引用: LITALICO発達ナビ
要するに、社会性やコミュニケーションの質について先天的に障がいを持っていて、
それに起因する行動が反復されているかどうか?が診断の基準になるようですね。
3歳くらいからもう診断がつくこともあれば、
成人してから自覚したり、診断がつく場合もあるようです。
Tくんの場合は、職場に出てから自覚したので、「おとなのASD」タイプですね。

ちなみに、僕は発達障がいについて、じつは医師の診断は受けていないんだよ。
でも「自分は自閉症スペクトラムだと自覚して行きていた方がうまく生きられる」から、そう思ってる。
ASDには、自閉症やアスペルガー症候群なども含まれます。
また、ASDの中には、人より五感が敏感になったり鈍感になったりする人もいるんだって。
Tくんの場合、この感覚が変化する「敏感性感覚処理」という症状も出ていたそうです。
自閉症スペクトラムを自覚したきっかけは?


僕はもうこの牧場で2年も働いているのに、仕事のミスが絶えなくてさ・・。
あと、その地域独特の「表裏がない」「察しない」文化にも慣れるのがタイヘンでw。
何かあるといつも、たくましい感じでズバズバ色々言われていたのも、気持ちにこたえていた。


「このまま悪化したら仕事できなくなってクビになっちゃうかも…しんどいと声も出せないし、こんな嫌な態度をし続けたら皆さんに嫌われて居場所が無くなっちゃうかも…こわいけど職場に伝えなきゃ…」
と思ったんよね。


職場の人たちに、自分が双極性Ⅱ型障害であることとその症状、あと僕が希望する対応を簡単に伝えたんだよ。

・・・という、それがあなたの勤務態度なんだから仕方ないでしょ!と言わんばかりの、いつものたくましい感じでさw。
気弱になってた僕はもう半泣き。


「私は発達障害の本とか勉強したことがあって、少しは知識があるんだよ」・・と。
僕はその時、「ん?いきなり自分の知識自慢かな?」と思った。
後で考えるとこういう、気持ちが汲み取れないところが自閉スペクトラムだなぁと思うんだけどさw


「アドバイス=僕がより素敵になれるための言葉」だったなと気づくことができたんよ。
何日か考えて、「あ、あれは僕が発達障害かもって教えてくれてたんだな〜」って気づいた。
Tくんは、学生時代に教職科目を履修したことがあったので、
ADHDとか自閉症とか発達障害についてはなんとなーく知識があったそうです。
でも、どこか他人事に思っていた部分があった。
「自分はそうじゃないはず・・・」って逃げている気持ちもあった。


で、とりあえず図書館に行って。
「発達障害」ジャンルの棚においてある、やさしそうな本をざっくり借りて読んでみた。







でも、本を読んで理屈抜きに「自分に当てはまるわ」って腑に落ちたんだね。
体系的に情報や体験談がまとまった書籍なりブログなりを読むの、大事ね。
それから、Tくんは自閉症スペクトラムについてドンドン情報収集を開始。
学んだ「行動のコツ」を実際に試してみると、
生活の中のしんどさや、コミュニケーション方法が改善されていったそうです。

この「行動のコツ」がわかるたびに、すごく嬉しくなるんだよね。
発達障害について、もっと勉強していきたい!

「敏感性感覚処理/感覚過敏」って何?
逆に、刺激に対する反応が低くなることを「感覚の鈍感さ(鈍麻・低反応性)」といいます。
どちらも感覚のはたらきに偏りがあることが原因です。
引用:LITALICO発達ナビ
Tくんの場合、コミュニケーションの難しさに加えて、
感覚がすごく敏感になったり、鈍感になったりする日があるそうです。

感覚が冴えまくると、体が音楽に飲まれるような感じ(音がめちゃくちゃ聞こえる)になる。

鈍感になると、逆に全てが遠くなって、まるで「トイレットペーパーの芯になって世界を見てる感じ」になったり。
まるで熱があるときのように、「ちゃんと目の前が見えてるけどちょっと動きが鈍い」「ワンテンポ遅れる」感じ。

へー。でも、感覚過敏でも仕事はこなせたんだね。

というか、小学生の時から付き合い長いけど、感覚過敏だったとか全然気づかなかったし。
本人から言われないと、意外と他人からはわからないものだな・・。
自分の症状は早く自覚したほうがいい
なつえりも自分がADHDと知ったのは26歳になってからだったけど、
「なんで自分はこんなに人と違うんだ?」
「当たり前のことができないのはなんでだ?」
「自分が信じられない」
こんな悩みをずっと抱えてきました。
でも、ADHDなんだと知って自分を受け入れることに繋がり、気持ちがかなり楽になりました。
Tくんも同じで、いろいろ調べたり病名がついたりした時に、
自分の居場所を見つけた感覚になり、気持ちが楽になったそうです。


仕事だし、確認はもちろんするんだけど、なんかダメなんだよね・・・。
上司は上司で、私が出来ないのを「やる気ないから」と思ってたんだよね。それが辛かったなー。
心療内科で教えてもらったり、ネット検索やいろんな書籍で情報収集して、
私たちはだんだんと自分のことを知ることができました。
特に、ブログは貴重な体験談の宝庫。「自分は一人じゃないんだ」って思えます。
(ですから、こういった私たちの体験談は積極的に発信していきたいですね。)
さまざまな症状を抱えたTくんでしたが、無意識のうちに心の支えになっていることがありました。それは・・・馬だった。
「ここで死ね!」と断言され、Tくんの人生が180度変わったエピソードとは!?
後編に続くゥ!!!!
↓
【後編】「ここで死ね!」と断言されて人生180度変わった、馬と結婚したいイケメンの話。
Tくんが厳選してくれた、うつ・双極性障害さんのための良著もあるよ〜〜〜!