ぽかべです、こんにちは。
2019年7月31日に、28歳になりました〜!
5日間ほど札幌の大親友をたずね、ホールケーキと道産ワインでお祝いしてもらって….。おかげさまで、うれしい時間をすごしました。実家の父母とも顔をあわせることもでき、よかったです。
遠距離になったかれぴくんからも連絡をもらったり、私からは飾れる絵手紙を送ったりして。
「大切にしたい人たちを、大切にする」
これが、私がほんとうにやりたいこと。少しずつ実現してきているのかなぁと思うと、うれしくなりました。

27歳のたった1年で、これまでの人生が180度変わってしまった

ブログを開始したのが、2018年の2月末、26歳のとき。
Twitterを始めたのが、ほぼほぼ27歳になり、元いた会社を辞める直前でした。
発信活動をゼロから始めて、そこからまるっと1年間。
発信活動、登壇、イベント企画、オンラインサロン、webライティング、講師業、自分の商品をつくって売ってみる、などなど….。怒涛の勢いでさまざまなチャレンジをさせていただけました。
勢いで会社を辞めてしまった、向こう見ずでアホな私。ぜ〜〜〜んぜん稼ぐことができない時期もあって苦しかったけど、いまではおかげさまで、食っていけてます。
仕事も変われば、考え方も変わる。
会社員だった頃は、「できません」という一言すら口に出せないほど自分に自信がない性格でした。
>>ここらへんの、すったもんだの経緯は、プロフィール記事をよんでほしいです。
でも、できるとかできないとかじゃない、やりたいからやるんやぁぁあ!っていう基準に行動を合わせてからは、だんだんと誰かのチカラを借りることを覚えました。
そしたら、ぜんぜん自分でできることねぇじゃん!!!!!って、やっと悟りました。
できることが少ないと再確認したはずなのに、むしろ、ありのままの自分のことを認められるようになったな〜と感じます。
「なんでもできる自分」を目指さずに、「自分のカタチはどんなカタチだろう」を追求したほうがラクになれるんだと思う。四角は星にはなれないし、星は四角にはなれないから….。
参考記事>>わたしは「食べかた」をみせる発信者なのかもしれない。
早稲田大学にいた頃って、まわりがみんな優秀だったから、ひとりでなんでもできちゃう子もけっこういたんですよね。そんな人になりたいなと無意識に憧れていた。
でも現実は、誰かの力をいっぱい借りないとダメなポンコツタイプ。残念〜!
その代わり、気持ちを素直に伝えられるギフトはあるのかもしれないな。そう捉えるようになりました。
やぶれかぶれで生きてたら、周りにいるスーパーマンたちが「そろそろぽかべ死ぬのではないか?」と、功徳をほどこしてくれるのです….。
前までは、施しをされることを、むちゃくちゃ恥ずかしいことだと思って受け入れられなかったけど、今ではうれしく受け取れるようになりました。

関連記事>>バカなやつほど秀才と仲良くなれる、たった1つの理由
人生変えたというよりは、自分の「素の部分」を出すために、ジャマな思い込みをドンドン捨てていっただけなのかもしれません。
今までの26年間で着込んでしまってきた、鎧を脱ぎ捨てる作業。だいたいできたと思ってます。(私に見えている部分はね….。)
なぜなら、フツーに生活していて、もうあからさまなストレスを感じないから。
ラクです、めっちゃラク。
1年間で人生は変わる。しかし、「1年で変えよう」と思ってはいけない。

と、自分に素直になれたのまではよかったんですけど、それでも、最近まで「焦り」は消えませんでした。
・もっと稼がなきゃ
・フォロワーさんの期待にこたえなきゃ
・コンテンツ作らなきゃ
・すごいことしなきゃ
・もう20代が終わっちゃう、時間がない!
・ボサッとしてたら、フリーランスとして食えなくなる!
それこそ、1日単位、1ヶ月単位で自分を追い込んで考え事をしていたと思います。半年後までに月収●万円達成するぞ!とかね。
この追い込み型の目標設定は、置かれた環境を変えるために短期的にがんばったり、なにかを身につけるために制限時間を決めたりするのは効果的なんです。
でも、これを数ヶ月、半年と続けていくとどこかでひずみが生まれちゃうんですよね。精神的に。
わたしも、この「短期的な成果」を追おうとして焦り、余裕がなくなって、自分に正直になれない時期がありました。
正直になれない結果として、大切な人を傷つけたり、本当は優先させなきゃいけなかった大事なことを後回しにすることも。焦りに隠されてしまった、だれかへの配慮、仁義、品位、素直さ、感情….たくさんありました。
そうなると、「なんであんなことをしてしまったのか」と恥ずかしくなって後悔し、自己肯定感は爆下がりです。自分の気持ちを無視せざるを得ないような状況は、長期的に見たら避けるべきです。
「人生変えるぞ」と意気込んだり、そのために数値的な目標を立てたりするのは素敵なこと。
でも、それって自分の気持ちとしっかり向き合えてる?という問いかけは、常に忘れないようにしたいな。
それを無視して目標達成したとしても、いいことないから。
1年で人生変わったよ、と言うことはできる。
でも、「1年で変えなよ」とは言えません。
かかった時間の長さなんて結果論でしかないし、人によります。でも、しっかり自分と向き合えば今よりは必ず状況はよくなる、それだけは希望をもっていたいし、周りの人にも伝え続けたい。
28歳の抱負「がんばらない」

気持ちの余裕は、精神的・金銭的な安心感からうまれます。
noteアカウントでこんなタイトルの文章を書いたのですが、
関連記事>>最初に優先するのはクリエイティブじゃない。まずは「稼ぐ」にコミットしよう
とりあえず暮らせる!という安心感がないと、なかなか余裕は持てませんし、自由な発想は出てきません。(天才は知らんw)
わたしは、精神的・金銭的な安心感が欠けて、自分と向き合えなくなり、結果、誰かに筋を通せなくなるくらいなら、
「おもしろいインフルエンサー」なんかじゃなくていいし、「常にチャレンジし続けるエンターテイナー」なんかじゃなくていいなと思いました。
誰かが求める自分の像を追うのではなくて、常に、自分の中にすでにある、自分らしさを軸にして思考と行動を決めていきたいです。
がんばるのって、カンタンなんですよね。
体力、気力、時間、お金をかけさえすれば、がんばる対象なんて世の中に無数にあるからです。
でも、モチベーションを用意してなにかに打ち込むときと、なにかに打ち込むこと自体がモチベーションになる行為は、没頭感がまるでちがいますよね。
後者は、なんでそれをやりたいと思うのかすらわからないけど、誰に言われずとも、がんばろうなんて思わなくても、自然とやり続けている。やることが目的、みたいな感じです。
それを、がんばらなきゃ、と、0から1に奮起し続けたら、自分を無視してしまうことにもなります。
だから私は、がんばらないとできない、と思うことを、意識的に排除していくことにしました。
ラクに聞こえるかもしれませんが、たぶんこれは、孤独な人生への第一歩です。
自分の気持ちは自分にしか分からないから、それを尊重するのは、「がんばる理由がだれでも理解できるようなこと」を避けるということでもあるため、大衆的、社会的、という言葉とは逆になります。
わたしはみんなと仲良くなりたくて、和から外れられなくて、すぐにがんばろうとしてしまいます。
でも、がんばったら苦しくなってしまう自分もいて。
たぶんがんばってもがんばらなくても、違う意味でつらいことはたくさんあるんだけど、
わたしはがんばらないつらさと、その先にあるだろう、本当に納得のいく生き方に、目を向けてみたいと思うのです。
時間を決めず、生き急がず、人事を尽くしていれば天命があるやろう、と、自分のペースで自分と向き合っていきます。
最近読んだ漫画に、「人は納得のいく死に方ができるとは限らない」というセリフがありました。
納得いく死に方ができるとは限らないのなら、不確かな未来や老後を不安がるよりも、イマココの生き方に全力を傾けたいな。
いつ死んだって「イマココのベストを生きた」と思っていられるような生き方をしたい。
それは、がんばらず、自分のままでいることに他ならない。
と、思っている、イマココの28歳のじぶんでした。
がんばらない、を、がんばろう!(壮大な矛盾)