こんにちは、なつえりです。
2025年突入して早くも2ヶ月経ちそうですが、年始早々、私は体調をくずしてしまってました〜。
原因はおそらく「冬季うつ」で、日照時間が短いことによるセロトニン不足で引き起こされたのではと。
落ち込んでる期間、ネガティブ思考に支配されてつらかったです。
もう一生経験したくないです笑
性格とかじゃなくて、そういう「モード」に突入しちゃう感じ。
朝起きた瞬間からもう、あれ、自分ってなんで生きてる価値あるんだっけ???みたいな。
ただ結論、このネガティブ期間をくぐり抜けてよかったです。すごく意味がありました。
なぜなら自分のみっともない姿を、家族や同棲してるパートナーに晒しまくれたからです。
今では、すごくフラットで、隠しごとがないような気持ち。
そして、今思えば、
伴侶として心から信頼するための、最後のお試し行動だったなと悟りました。
「この人は何があっても自分から離れていかないんだ」
そう心から確信したかったからこそ、あえて今回、体調不良になったのかも?って思ってるんです。
なのである意味、私にとって、人間関係のトラウマ解消・THE・最終章だったかもしれません。
パートナーには迷惑かけてごめんねとちょっと申し訳なかったですが笑、
こんなに心を許せる相手に出会えて、本当に良かったなって思っています。
33歳、遅れてきた反抗期…?
子どもの反抗期って、ちゃんと意味があるそうです。
「こんなにわがままな自分でも、愛してくれるの?」
「こんなことを言っても、見捨てない?」
「自分の味方になってくれるの?」
こんなとき、親や信頼できる大人から肯定してもらうことで、
自尊心を育んでいったり、情緒が落ち着いていくんだそうです。
ある意味、私は、ここで愛着形成するのに失敗してます。
(ただ、今こうして発信できてることが幸せなので、後悔はありません。むしろ成功w)
だからこそ、思春期から大人になるまで、ずっと行ったり来たりの人間関係構築をしてきました。
くっついたり離れたり、依存したり自立したり。コロコロ笑ったり、突然沈み込んでさめざめ泣いたり。
愛着形成の種類で調べるといろいろ出てきますが、ずっと葛藤があったんですね。
「この人を信じていいのか。失わないだろうか。傷つけられないだろうか。」
「一緒にいる人を不幸にするのではないか」
「振り回してしまうのではないか」
という。
ひいてはこの感覚が、自尊心低下につながり、
「役に立たないと生きてる価値ない」という思い込みに繋がってました。
しかし、いまのパートナーと交際していく中で、ありのままの私を受け止めてくれる実感があり
「私を受け止めてもらえるのかもしれない」
「この人は私の元から本当に離れないのかもしれない」
と、ジワジワ確信が育っていきました。
ある意味、試し行動というのは、賭けなのかもしれません。
私は体調不良になり、「しばらく養って欲しい」という言葉を伝えました。
私の脳内では “役に立たない自分でも一緒にいていいのか” という意味が込められていて、
歴代パートナーに一番言いたくなかった言葉でした。
(もちろん養われる=無価値ではないです。私の思い込みワールドの中で対義語だっただけ)
パートナーは「事業の支払いまではできないけど、生活費だったら今まで通り頼っていい」と言ってくれました。
彼の言葉は、とても客観的で現実的で、きっと私に一番必要な言葉だったんだと思います。
こんなこと言って、みっともない自分を晒しまくったな、、もう尊敬とかされないかもしれない、、
とションボリしていましたが、むしろその日以降のほうが、なんだかさらに仲が良いのです。
うまく言葉にできないのですが、彼もリラックスしてくれているような。
頼るところは頼ってくれるし、甘えてもくれるし、可愛いっていつも通り声をかけてくれる。
この話し合い以降、だんだんと体調も回復してきて、今では通常通り仕事ができてます。
面白いのは、承認欲求とか物欲が消失して、自己投資やショッピングの金額もガクンと減ったこと。
お財布を開かず終わる日も多いです。
彼と一緒にお風呂に入ったり、そういう何気ない日常があればもう十分な心境。
ただ、自分の中に眠っている、小さな子どものような好奇心は
逆にムクムクと元気になり、「あんなこともしたいこんなこともしたい」と計画するようになりました。
… これってきっと、33歳お試し行動、卒業です。
自己成長とか自己啓発という感じでもなくて、ひたすら自然というか、もとの自分に戻ったという感じ。
ニュートラルな気分なんです。
でもきっと、このニュートラルな状態、自尊心の基本なのかもしれない。
あーあ、書いちゃったという感じ。
本当はこんな内容をブログに書くの、すごく恥ずかしいんですよwww
だって、「いいトシして」ろくに精神的自立もしてないの?って思われそうじゃないですか。
しかもセックスカウンセラーを名乗っているのに、
そもそも自分のメンタルと戦っているのかよ、という。
でも、正直言って、大人だっていくつになっても未熟な部分ってあります。
誰にだって子どもじみた部分はあります。そこを完全消去することはできません。
ただ、未熟な自分もちゃんと客観視して、「誰かを思いやったり優先できる人」になりたくないですか?
(私はなりたい)
だから、自分の中に弱い部分があること自体が問題じゃない。
それを隠そうとしたり、ごまかそうとして、結局、自分も周りも幸せになれないことが問題!
このメッセージを伝えたくて、いま、筆を取っています。
そして、私が冬季うつで何もできず一番しんどかった時期に救われたのは、紛れもない、だれかの等身大の体験談だったから。
バトンをつなぐような気持ちで記録してます。
いま生きる理由なんて、「死ねないから」で良いと思う。
今しんどいと感じているあなたも諦めないでね。
暗いトンネルがやってきても、抜けられる日が必ず来ます。
朝起きて、今日も幸せだなと感じられます。
誰も自分を攻撃しない、心の安らかさを保って1日を終えられます。
穏やかな気持ちで眠りにつけます。
空気は美味しく爽やかで、水が美味しいです。
太陽の光を浴びて心地よく感じます。
今は想像できないかもしれませんが、そんな気持ちのいい感覚は必ず戻ってきます。
そして、どんなにクソな部分しか見えなくても、優しくて分かり合える人はいます。
「この人がいてくれてよかったな」
そんな瞬間を味わってから諦めるのでも遅くは無いはずよ〜!
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